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飯塚繁雄(いいづか しげお)さんは現在も北朝鮮に拉致されている被害者の家族であります。
正確には飯塚繁雄さん妹です。ニュースサイトや繁雄さんの発言からは妹さんはとてもしっかりした女性で美人であったことが語られています。
今回は現在も妹を救うため日々必死に救出活動を行なっている飯塚繁雄さんについてこれまでの経歴やプロフィールをご紹介していきます。
この記事を読んで、少しでも拉致被害者家族の思いが誰かに届けばいいなと思います。
長年ただただ「妹を救いたい」その思いは、家族会の代表となって必死に活動が続いていました。
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拉致被害者の家族会代表としての活動
拉致被害者の家族会はもともと北朝鮮によって拉致された被害者の家族たちによって結成された団体です。
家族会と呼ばれることが多く、よくテレビ番組でお見かけするのは横田めぐみ夫妻やすでに帰国できた蓮池薫さんたちではないでしょうか。
家族会の活動は1997年から本格的に始まっています。
設立者は未だ拉致されている横田めぐみさん夫妻の夫、横田滋が立ち上げました。
主な活動は帰国を求めて、署名活動だけでなく講演も定期的に行われています。さらには日本の政治家共交流を深め、どんどん組織としては大きくなっていきました。
そこで飯塚繁雄さんは家族会代表になったのは2007年11月24日。新代表として家族会は新しい体制で動きが変わっていきます。
代表:飯塚繁雄
副代表:浜本 七郎
事務局長:横田拓也
事務局長次長:横田哲也・飯塚耕一郎
【補足】
横田拓也と哲也さんは横田めぐみさん夫妻の双子の息子さんです。
飯塚耕一郎さんは養子になったので苗字はかわりましたが、田口八重子さんの実息子です。
2018年4月時点
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飯塚繁雄の経歴・プロフィールまとめ
飯塚繁雄(いいづか しげお)の簡単プロフィール
生年月日:1938年生まれ
出身:東京都
経歴:1953年に日産ディーゼル工業に入社→株式会社 愛工舎工場長(2018年4月時点)
本の出版:「妹よ 北朝鮮に拉致された八重子救出を目指して」
拉致されたのは飯塚繁雄さんの妹
名前は田口八重子さん。
生年月日:1955年8月10日
出身:東京都豊島区
行方不明になった日:1978年6月ごろ
行方不明になった日の状況:田口八重子さんは当時2人の子供を子育て中ですが、シングルマザーとして日中は仕事に出ていました。
行方不明になったのは、生まれた子供、幼い2人をベビーホテルに預けたままでした。
拉致されたことがわかったのは、1985年に起きた大韓航空機事件でその犯人。キムヒョンヒという元死刑囚に日本語を教えた女性(リ・ウネ)が田口八重子さんにそっくり。その上言葉や会話の内容からも田口さんであることがわかり、北朝鮮に拉致されたことが判明。
飯塚繁雄さんはこの妹、田口八重子さんを今も救いたいと強く、強くのぞみ活動を続けている方なんです。
飯塚繁雄は妹を救いたい!
ただただ飯塚繁雄は妹を救いたい!そのために日本の政府への関わりも積極的に行なっているようです。
北朝鮮が拉致されたことがわかり、2014年9月日朝首脳会談で、北朝鮮が田口さんがもうこの世にいないことを断定して発言してきたのですが、その説明には矛盾点がたくさんあり、完全に北朝鮮の捏造の疑いが持たれ、ますます飯塚繁雄さん夫妻は妹を救うための活動に力を入れることになっていきます。
田口八重子さんの生存は明らかです。
田口八重子さんの産んだ長男耕一郎さんは、田口さんと共に生活をしていたとされる北朝鮮側の人間に「お母さんは元気ですよ」と声をかけられと言います。
度々生存状況が確認されており、数年前には田口さんは肝臓の病気であることも公表して入りします。
だから、一刻も早く救いたい思いが強くなるんです。
飯塚繁雄さんはこれからも妹を救うために、あらゆる手を尽くして妹を奪還されていることでしょう。
2018年北朝鮮の非核化や北朝鮮とアメリカの会談が始まります、ここでしっかり拉致被害者の帰国をしっかり要求できるか、大きな注目が集まるところだと考えています。
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