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北朝鮮に拉致されている人が未だ帰国できていない実情をご存知でしょうか。

北朝鮮による拉致被害者として政府に認定されているのは17人ですが、そのほかにも拉致の可能性否定しきれないケースが沢山あります。

そして、今回は帰国できた拉致被害者の子どもたちの現在について調べてみました。

帰国後に結婚された方もいて、日本での生活にも慣れ親しんでくれているのでしょうか。また、北朝鮮での生活の実情がやばいと話題になっていました。

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拉致被害者の子供たちの現在

北朝鮮から帰国した三家族をご紹介します。

北朝鮮の拉致被害者【地村 保志 さん】

2002年10月に妻の地村富貴重恵さんと帰国。

2003年から就職して観光交流課や生涯学習スポーツ課などで勤務されていましたが現在は定年退職されているそうです。

帰国当時は子供は16歳から22歳くらいでした。日本にも少しずつなれて、就職して自立しているそうです。

北朝鮮の拉致被害者   【蓮池薫さん】

蓮池薫

二人の子供がいます。長女の重代さんは大学で‪‪学び直したあとに、就職。

長男の克也さんは、証券会社でインターネット関係の取引実務に携わっているそうです。

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北朝鮮拉致被害者の   【曽我ひとみさん】

曽我ひとみ

北朝鮮で生活中にであった、元アメリカ兵ジェンキンスさんと結婚して、二人の娘を授かりました。

長女の美花さんは、保育園で働き、次女のブリンダさんは結婚して、嫁いだ先で働いているようです。


未だ帰国されていない【田口八重子さん】

田口八重子

2人のお子様を残したまま、北朝鮮へ拉致されたことがわかった田口八重子さん。

今兄の飯塚繁雄さんも家族代表として妹、田口八重子さんの救出活動を懸命に行なっています。


子供達は帰国後に結婚してる?

拉致被害者の子供たちですが、

今の拉致被害者の3家族のなかで、結婚しているのは曽我ひとみさんの次女曽我ブリンダさんのみ。

皆さん一般の人なので情報は少ないのですが、その他の拉致被害者の子供たちは結婚されている可能性は高いと思います。

当時帰国後は、慣れない日本の環境に拉致被害者の子供たちはすこしずつ慣れてきているといいっていました。

北朝鮮、建物

北朝鮮での暮らしは制限もあり、買い物も監視員がついくるほど、厳重に監視されていました。

毎月決まった日に米と最低限の生活費のみ支給しかありませんが、あまりにも低くて生活のレベルは本当に最低限なのです。

それに比べたら、日本での暮らしは、彼らにとってかなり幸せなものになっているのではないでしょうか。


北朝鮮での生活がやばい!

北朝鮮での生活は、いったいどんなものだったのか、詳しくお伝えしますと…

●買い物には監視員付き

前もって担当の北朝鮮の工作員に買い物をしたいことを話、日程をきめてバスを手配する。その後にスーパーなどの買い物へでかけられるのですが、どの商品も支給されたお金では買えないものばかり。とにかく不便な生活だったのです。

●工作員村での生活

日本人同士の会話は禁止。

工作員村は、ピョンヤンから車で一時間ほどのチュンハ群チュンノンリという場所で、人里離れた山間の地区の谷間に日本人拉致被害者が暮らす招待所が作られていたそうです。

蓮池薫さんは、工作員に日本語を教えるように命じられていたそうです

●冬の北朝鮮は-30度

凍った川の上をバスが通ったりします。曽我ひとみさんの、話によると寒すぎるため着れるだけの服を一人一人後着込んで家族で固まって眠っていたそうです。

このように北朝鮮での生活は非常に過酷でこの他にも不便な生活を強いられていました。

日本のようにすぐ近くには病院などもないため、体調を崩してしまった時はいったいどうやって治療していたのでしょうか。

場所も人里離れた場所ということで、周りの世界と断捨離されていたと思います。

引用元:工作村での拉致被害者の生活の記事

まとめ

北朝鮮で拉致された方は数多くいらっしゃるのですが、未だに戻ってきていない方はいます。

帰国した子供たちの中には、もうすでに結婚されたり日本で穏やかな生活は送っている方もいる一方、同じ境遇の方が未だ北朝鮮にいると思うともう本当にやるせない気持ちになるのではないでしょうか。

自分の家族だったら、友人だったらとそう思っただけで胸が苦しくなります。

北朝鮮での生活については、ネット上から引用してきたものばかりですがどの記事にも厳しい北朝鮮での生活を余儀なくされていました。

日本政府の力はどこまで北朝鮮に及ぶかはわかりませんが、引き続き拉致被害者の方々が一刻も早く日本に戻れることを祈ります!

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