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こんにちは!

北朝鮮の拉致被害者である曽我ひとみさんですが、北朝鮮でアメリカの元兵士の男性ジェンキンスさんと結婚されて娘も二人生まれていますね。

今回は娘二人についてしらべてみました。

アメリカ人の父親、ジェンキンと日本人の曽我ひとみさんとの間にうまれたということは、英語ははなせるのでしょうか?

世間では、日本で何をつかって会話をしてるのか気になっているようでしたので、娘二人は英語をはなして会話しているのか、それとも日本語で生活をしているのかについてお伝えしていきます。

また、娘二人の名前や職業についてなど、現在の状況もお伝えしていきますね。

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曽我ひとみと夫ジェンキンスとの出会い

曽我ひとみさんが北朝鮮に拉致されたのは、当時19歳のときのこと。

当時母親との買い物の帰りであり、自宅にたどり着く数十メートルのところで拉致被害にあいました。

ばらばらで拉致されたため、未だに母親の場所はわかりません。

拉致当時、一人曽我ひとみさんは船の中で泣き叫んでいたといいます。

曽我ひとみさんは拉致された日本人があつまる、北朝鮮山奥にある集落に強制的に生活は始まります。

そこでであったのが、アメリカ兵氏のジェンキンスでした。

二人の間には二人の娘がうまれたのですが、2002年に北朝鮮側が拉致の事実をみとめ、限られた日本人たちを解放して、日本に帰国することができました。

最初に帰国したのは、曽我ひとみさんのみ、その2年後ににジェンキンスさん、そして娘さんたちと日本で暮らし始めることができるようになりました。

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曽我ひとみの娘二人は日本語話せるのか?

曽我ひとみさんは元アメリカ兵氏であるジェンキンスさんと娘二人と帰国後に新潟県佐渡市で暮らし始めました。

おそらく曽我ひとみは日本の生活にすぐになじめたのかもしれませんが、夫のジェンキンスと娘二人は日本での初めての生活に慣れるのに時間もかなりかかったのではないでしょうか。

ネット上での疑問は、

娘さん二人は家庭で日本語で会話しているのか

というものでした。

確かにジェンキンスさんはおそらく英語しかはなさないとするので、曽我ひとみさんは英語でジェンキンスさんと会話をしているのだと思います。もしくは北朝鮮語ですね。

また娘二人が日本語を話せるのかについてですが、

現在は日本語も話せるようになっていると思いますが、当時は北朝鮮語が主流であったと思います。

2005年にあったニュースサイトの情報によると、

2005年の4月から娘二人は新潟大国際センターに通って、日本語の勉強が始まったといいます。

当時は長女も21歳次女は19歳という若さでしたので、話せるようになるにはそんなに時間はかかわらなかったのではないでしょうか。

また、曽我ひとみさんは、拉致から解放された当初は日本語をすっかり忘れて、ほとんど話せない状態だったといいます。

そのため日本に帰国することになったときに、娘ふたりに『日本語勉強したほうがいいんじゃないの』といわれたことがきっかけで、日本語もまたあらためて学び始めたのでしょう。

曽我ひとみ

曽我ひとみ娘二人の名前や年齢!職業、現在何をしているのか

曽我ひとみさんの娘二人の名前や職業について調べてみますと、こんなことがわかってきました。

長女:曽我 美花(そが みか)

次女:曽我 ブリンダ

年齢は、美花さんが33歳くらいで、次女のブリンダさんは31歳と、もう30代ということになりますね(2017年時点)

美花さんに関しては、現在保育士を続けているとのことで、日本語もずいぶん上達されているのでしょうね。

また次女のブリンダさんはすでに結婚されているそうで、ネット上にある情報では酒造会社に嫁いだといわれています。

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