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こんにちは!
30代になってさらに人気政治家の仲間入りした元小泉純一郎の進次朗。
どんなに忙しい時でも小泉純一郎は息子進次朗のために、キャッチボールをするために
戻ってきたといいます。
小泉進次郎が立派な政治家に成長したのは、父親であり政治家の小泉純一郎の背中をおってきたからであることは間違いありません。
今回は小泉家の生い立ち。小泉進次郎の母親についてです。
ネット上でうわさされている、小泉進次郎は母親がちがうという噂。
小泉純一郎と最初に結婚したはずの宮本佳代子の息子ではないのか?そして、小泉進次郎の父の離婚原因となった姉や宗教関係である噂について迫ります。
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小泉進次郎について
名前:小泉 進次郎(こいずみ しんじろう)
生年月日:1981年4月14日
出身:神奈川県横須賀市
趣味:読書・サーフィン・落語
好きな言葉:『意思のあるところに道はある』
長所:ポジティブ
短所:涙もろい
経歴:
昭和63年 関東学院六浦小学校 入学後
中学校・高校・大学を関東学院で過ごす
平成16年 関東学院 大学経済学部 卒業
平成18年 アメリカのコロンビア大学大学院 政治学部 修士号 取得
学生時代:
習い事はたくさん続けてきたほうで、兄は辞めるが、進次郎は続けることが多い。
勉強も得意なほうで、体育が一番好き。
特に野球です。小泉純一郎とのキャッチボールの映像も残ってましたよ。
野球の腕前もなかなかで、プロ野球選手を目指していました。
兄弟で野球をしていたため、兄弟喧嘩は絶えず、野球監督になだめられることもあったとか。
今ではなんでも相談できる仲の良い関係を築いています。
また、父親の小泉純一郎には、1度も『勉強しろ』と言われたことがないそうです。
政治家だからこそ、
『辛いと思う道を選びなさい』と教えてこられたそうですよ。
素晴らしい子育て論ではないでしょうか。
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小泉進次郎の母親は違う?
小泉純一郎は離婚をしていました。
母親が違うの?といわれたのには、
ある理由がありました。
小泉進次郎には、『育ての親』がもう一人いました。
それは、小泉純一郎さんの姉でした。
姉の名前は 小泉道子さん。
2016年9月に亡くなられていましたが、
小泉道子さんが実の母でないと知ったのは、
小泉孝太郎(兄)が高校2年生・進次郎が中学2年生の時。
小泉純一郎は、
『ママは私の姉なんだ』と告白。
ここで孝太郎は知っていたが、進次郎は知らなかったといいます。
しかし、小泉進次郎は、『本当の母親だ』と、ハッキリ話します。
今も実の母親だと思っています。
小泉純一郎と実の母親は、小泉孝太郎と進次郎が幼少期に離婚していたのです。
小泉純一郎が結婚して4年後です。当時は長男の孝太郎が4歳。
1歳の進次郎は、本当の母親だと信じきっていました。
孝太郎は気がついていたのに、何故弟に真実を言わなかったのか、そこにはやっぱり兄弟思いな兄がいたのだと思います。
母・宮本佳代子の苦しみ!離婚原因は姉や宗教だった?
実の母であるのは、宮本佳代子です。
小泉純一郎が当時青山学院大学4年生のときに、宮本佳代子とお見合いをして、その日にプロポーズをしています。
離婚当時はお腹にもう一人の息子が、宿っていました。
妊娠中にもかかわらず、離婚になってしまう、そんな現実に宮本佳代子は一生分泣いたといいます。
苦しんだと思いますし、
何故そんな状況なのに、離婚にまでなってしまったのでしょうか。
そこには、宮本佳代子の姉や親戚関係でのトラブルが離婚原因だと囁かれています。
さまざまなネットにある情報のなかに、でてくる姉の存在。
憶測が飛び交い、どの内容が真実かはわかりませんでした。
宮本佳代子自身もまだ告白出来ない内容なのでしょう。
2016年の雑誌のインタビューで、
『これまで縛られてきたしがらみから自分を解放しよう。これからは堂々と生きて行こう』と語っています。
このインタビューコメントからすると、
やはり政治家として活躍する小泉純一郎と一般人である宮本佳代子のあいだには埋められない何か理由だったり、価値観だったり、譲れないものがお互いあったのかもしれません。
自分らしく生きるため、宮本佳代子は再スタートをきっています。
三男である息子さんも、25歳を迎え、結婚を機に小泉進次郎や孝太郎とも仲良しなんだそうです。
親があれこれあっても、兄弟3人仲良く過ごしてほしいなと思います。
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