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元号が「平成」から「令和」になり、皇太子様が新天皇、雅子様が新皇后におなりになりましたね。

そんな新皇后の雅子様は、現在でも変わらぬ美貌で多くの方から綺麗と反響があります。なお、若い頃から綺麗と言われており、学生時代からのファッションにも可愛いと反響がありました。

今回は、雅子様の若い頃の画像や学生時代からのファッション、才色兼備な学生時代からの経歴も紹介していきます。

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雅子様の若い頃が綺麗【画像】

雅子様が、ご成婚されるまでのお名前は「小和田雅子」さんと言います。

1963年(昭和38年)12月9日、東京に小和田恆(ひさし)・優美子夫妻の第1子(長女)とし誕生しました。

父親は、外交官と東京大学講師の仕事に就き、母親はチッソ会長の長女で、結婚前はエールフランスで秘書の仕事をするなど、上流階級の家庭でお育ちになりました。

なお、雅子様には、3歳年下の礼子さん・節子さんという双子の妹がおられます。

下記は、テレビ中継された結婚の儀の最高視聴率は79・9%を記録するなど、全国民から圧倒的な人気があった若い頃の雅子様の画像の一覧となります。

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上記の画像より、上皇后であられる美智子様も綺麗と言われていましたが、雅子様の若い頃も綺麗であることが分かりますね。

なお、母親のたっての希望で上皇后美智子様が雙葉小学校附属幼稚園に通園していた当時の担任教師が開いた塾に通っていました。

幼少期から、上皇后であられる美智子様と関わりがあり、何かしらの運命めいたものを感じますね。

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雅子様の学生時代からのファッションまとめ

雅子様が前皇太子のお妃候補と報道され、マスコミの報道が過熱し、世間の関心も高まり、色々な部分に注目されました。

なお、独身の時の雅子様の愛車がトヨタ・カローラIIであると分かれば、飛ぶようの売れています。

さらに、実家に通じる道路には「プリンセス通り」と呼ばれていました。

そして、連日のニュースで話題となる雅子様のファッションにも注目が集まり、その美貌に合ったファッションにも注目が集まりました。

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上記の画像より、当時の流行を綺麗に着こなしており、ファッションセンスにも定評がある理由が分かります。

ちなみに、ご結婚後も独身時代にご自身のお給料で購入したコートを着ますなど、若い頃から現在まで雅子様のファッションに注目が集まっています

なお、雅子様がお召しになったコートなどは、一躍有名になり、同じものを購入する方もたくさんいたようです!

雅子様の学生時代からの経歴まとめ

雅子様は、海外留学、帰国子女、バイリンガル、キャリアウーマンというバブルに日本で流行していた言葉がすべて当てはまるような女性でした。

そんな雅子様の主な学歴は、下記です。

・「田園調布雙葉小学校」
・「田園調布雙葉中学校」
・「田園調布雙葉高等学校」
・「ハーバード大学経済学部」

小中高とカトリック系の学校で、多くの良家の子女が通う名門校です。

そして、入試偏差値は69と高く、東大合格者も多く輩出する非常に優秀な学校として有名です。

父親の仕事の影響で、海外生活が多い雅子様は、高校2年生に頃にアメリカへ行きました。

高校は、ボストンのベルモント・ハイスクールへ編入し、そこで最優等学生に選ばれ、アメリカ政府が国の上位5%の生徒に贈る「ナショナル・オーナー・ソサイティー」を受賞しています。

大学時代には、卒業論文が評価され、マグナ・クム・ラウデ、優等賞を受賞しています。

そして、大学卒業後は日本に帰国し、外交官を志し、外交官試験に合格し、外務省入省が決まります。

この当時、 女性初のキャリア官僚スーパールーキーと話題になったほど、女性が外務省に入省することは珍しいことでした。

外務省に5年ほど勤めた頃、お妃候補と報道され、海外生活も長く、語学堪能で聡明な雅子様が皇室に新風を吹き込んでくれると期待されていました。

まとめ

令和という新時代を迎え、皇后なられた雅子様は、テレビ中継された結婚の儀の最高視聴率は79・9%を記録するなど、若い頃から全国民から圧倒的な人気がありました。

最近では、世界の子供たちの貧困や難民の状況について関心を寄せているそうですよ。

雅子様は適応障害で長期ご静養に入られていたので、新皇后を待ち受ける儀式やご公務の重圧ははかりしれないと思うので、心配ではありますが学生時代からの雅子様の輝かしいキャリアを活かし、時代に沿った皇室になれば良いと思います。

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