こんにちは!

北朝鮮の拉致問題がいまだに解決されていません。

今後日本とアメリカの圧力のかけ方次第で北朝鮮の拉致問題解決につながることをただただ祈ります。

今回は曽我ひとみさんの現在について調べてみました。

曽我ひとみさんは北朝鮮でジェンキンスさんとであって結婚して、二人の子どもに恵まれたのですが、夫ジェンキンスさんとの馴れ初めに迫ります。

また、北朝鮮で家族4人での生活ってどんなものだったのでしょうか。

曽我ひとみさんは日本のような白いお米は食べられたかったといます。

スポンサードリンク

曽我ひとみについて

名前;曽我ひとみ(そがひとみ)

出身;新潟県佐渡市

拉致当時は19歳でした。

曽我ひとみさんは2002年に日本に帰国した拉致被害者です。

24年ぶりの帰国をしたのですが、北朝鮮で生活している間に元アメリカ兵のジェンキンスさんと結婚しました。

日朝首脳会談によって、曽我ひとみさんとジェンキンスさんの生存は確認されたのですが、彼らはそれまで想像以上に苦しい生活をおくっていたのです。

家族が増えてからの方が生活面は苦しくなったと、曽我ひとみさんは度々講演などでお話されています。

スポンサードリンク

曽我ひとみの現在!夫ジェンキンスとの馴れ初め!

曽我ひとみさんは現在帰国されてからは、夫ジェンキンスと娘二人で新潟県佐渡島の方で暮らしています。

娘さんたちについてはこちらをご参考にどうぞ。

曽我ひとみの娘の現在!結婚して子供が?仕事は何してる?【画像】

また、曽我ひとみさんは一度肺がんという病気にもかかったことがありました。

曽我ひとみの現在!肺がん?帰国時に再会の夫ジェンキンスの仕事は?

夫ジェンキンスさんについてですが、

夫の名前(本名);チャールズ・ジェンキンス

出身;アメリカのノースカロライナ州

生年月日;1940年2月18日

前職;軍人(アメリカ兵)

第二次世界大戦から10年後に15歳で入隊。

当時、ベトナム戦争に派遣されることが原因でアルコール依存症におちいっていたそうで、

『騒音のする場所をみつけたから確認する』といって部隊から離れ、戻らなかったと言います。

この時に北朝鮮にみつかったそうですが、そのころアメリカでは

『ジェンキンスは恐れをなして亡命した』と結論づいていたそうです。

さて、夫ジェンキンスと曽我ひとみの馴れ初め『出会い』ですが、北朝鮮ではジェンキンスは英語教師として働かされていました。

そこでであったのが曽我ひとみさん。

1980年日本人拉致被害者の一人として政府から紹介されました。

そして、出会って38日後に二人は結婚しています。

きっと、英語を習っていくうちに二人は恋に落ちたのかもしれません。それにしても出会って1か月ちょっとで結婚までふみきるのっってすごいですよね。

まさに日本だと、電撃結婚です。

曽我ひとみ

娘や夫と4人での北朝鮮での生活について

2人の間に娘が二人うまれたのですが、

当時の北朝鮮での生活を曽我ひとみさんはこう語っています。

『一番困ったのが電気がいつ切れるかわからないということ』

『アパートの水道も電気でポンプアップしていたので水もでないということになるわけですから、これほど不便さはありませんでした。時には雨水をためて、洗濯や食器の洗い物に利用したこともありました』

また、北朝鮮は冬になるとマイナス30度の世界。発電能力が極めて低いことから、暖房器具も未熟。しかも、凍った川の上をバスが通るというのが普通でした。

とにかく寒いので、家族のひとりひとりがきれるだけの服を身にまとい、家族で固まって寝ていたそうです。

毎月決まった日に最低限の保証しかなく、お米と生活費のみ。

時には闇市で卵をかって割ってみると、ひよこになる寸前だったり。

お米は灰色で、虫や石が混ざっていたので、曽我ひとみさんは毎日この石などをとってお米とたいていたといいます。

日本とはあまりにも環境や食べ物、習慣までも縛られた生活です。

このように北朝鮮の生活について調べていますと、いまだに北朝鮮にのこる日本人拉致被害者の人たちが1日も早く帰国できることをただただ祈るしかありません。

スポンサードリンク